- 小話・2 -


 
「だいたいの見当はついているのだけれど・・・・」
 と、何もかも見透かしたようなアクロの口調に、ロイナスは身構えた。先刻まで、ミンミと楽しく絵本を読んでいたのに、ふと気がつくと部屋の角に追い込まれ、いつの間にか二人きり。ミンミの素直さを前にかなり気が緩んでいた。
 (アクロと女に気をつけろ)
 あいつに繰り返し言われていたではないか。迂闊だったと今更後悔しても、もう遅い。
「捜し物は何だい?」
 やわらかな微笑みに、頭の芯が冷めていくのを自覚する。彼は味方だ、取って喰われたりはしない。おれは馬鹿なことを考えている。いやしかし、初対面の時の怪しい印象は簡単にぬぐいきれるものではない。
 賢者は葛藤の様子を静かに見守る。内心面白くて仕方ないのだが笑いをこらえる瞳が妙に潤んで、艶っぽい。
 白状しなければ何かされる。(いや何もないはずだが)
 逃げられない・・・・。ロイナスは観念した。
 
「先日の異変では、作付けしたばかりの穀物が被害にあっていた。畑はなんとか作り直せても、収穫までに時が足りない。今からでも間に合う作物があれば、と」
 それから・・・・と、すこし言いよどんでから
「今回の調査、遠出するための水場がなくて不便だっだ。守りも大事だが、今まで交流のなかった土地への拠点を見直してはどうかと思って」
 うんうんとうれしそうに黙ってうなずくアクロに、すこし安堵を覚える。害意はないと思えるし、そう思いたい。
「で、まず農作物の資料を探していたと?」
 ようやく金縛りが解け、まだ妙に緊張した首をぎこちなく縦に振る。
 では・・・・と立ち上がり、賢者はやや年季の入った数冊の書を机の上にのせ、一節を開いてロイナスへ差し出した。
「水、土壌、季候や陽の強さにより、適した作物は違う。また、開けた土地の多いガウルと違い、大陸の他を占める山地の上と下では収穫の時節も違うことを忘れてはいけない」
 手渡された書は彩国の農学書の写しのようだ。食材として栽培される穀物の分類に始まって、栽培時期、季候・水・土壌などの耕作条件が品目毎に精細な墨絵と共に記されている。ガウルでは見たたことのない作物もある。別冊には各地の農法、在来農具の図、土壌の改善を試行した記録も残されている。そして、それらにすべてガウル語の解説がつけられている。見覚えのある筆跡で。
「これはあなたが書いたのか?」
「基となる農学書は国のものだ。ボクがお願いをして写しを書かせてもらった。ここでの商売にガウル語の説明は必要だからね」
 あっさりと言ってくれる。
 (だがすごいな。アクロはこれをすべて学んだのか)
 これを読みこなせば、捜し物は容易だろう。やや興奮気味に顔をあげると、賢者の視線と出会った。無条件に頬が引きつる。
「君の見るべき所は、どちらも間違ってないよ」
 ただねぇ・・・・と満面の笑みはそのままに、諭すように。
「一点目は、もうすでに商人達が周辺の土地から種と苗を運び込んでいる頃合いだ。大陸に住む同郷の者も含め、商人達はこういった機会を逃さないからね」
 なんだ、そうか。本当に全部見透かされている。やっぱりおれはあいつと違って頭が悪い。気持ちが一気に落ち込む。
「しかし、国の力が必要なことがある」
 アクロは大陸の地図を目の前の机に広げ、ガウルからエダハまでを指でなぞった。つられて目で追うと、単なる荒野だった場所にも蛇行する線が数本書かれている。この線は一体?
「これは3日ほど前、郷の商人が教えてくれたエダハまでの行程。このように物の流通がある所、つまり商人達の行くあとに道は勝手にできてしまうのだよ」
 確かに、今回の調査で分かった魔物の出現場所をうまく避けて道筋がのびている。まだ国からの公表も詳しくされていないのに、商人達は独自で情報を持っているのか・・・・。
「国の力が必要なこととは何だ?」
 知りたい気持ちが抑えられず、問いかける。アクロに対する警戒心などもう消えてしまっていた。アクロはただの怪しい男ではなく、賢者に違いない。
「早急に必要なことは、井戸を掘り水場を作ることと、橋を架けること。ただこの場合、軍事目的と商用目的では作る場所は異なるが。いずれにしてもこれは、きみ次第ですぐに実現できるのでは?」
「おれが?おれに何ができる?」
「おや、自分で言っておきながら、やらないつもりなのかね?」
 常に前を向いて行動しているつもりだが、こればかりはできるはずがないと思う。当たり前だ。今のおれには官職もなければ権力もない。どちらも多額の資金が必要だ。
「直接頼んでみては?」
「無理だ」
「王の枕元で毎晩ささやいてみる」
「何のまじないだ? 馬鹿な」
「誰か官職者の弱みを見つけて脅は・・・・」
「おまえとは違う!!」
「じゃあ、水場整備と仮橋設置の立案書を書きたまえ」
 簡単に言ってくれる。だが、涸れた井戸、朽ちて落ちた橋を思いだして、書いてみる気になった。立案書なら、何とかなるかもしれない。無駄に内職を手伝っていたわけではない。
 しかし、おれの名前で書いて通るのか?最悪、自分で書いて自分で決裁するか・・・・ばれるな、絶対。
 (ここと・・・・このあたりか)
 歩いてきた土地の風景を思い浮かべながら、地図を指ではじいた。
 アクロはロイナスの表情が変わったのを見て、静かにたずねた。
「今回の調査で何か思うところがあったのかい?」
 偽王子の役割を終えたあと、おれには何も残らないはずだった。だが異変の可能性を知り、ガウルのために何かやらなければと思った。平穏なエダハをおそった災厄。闇穴の中での地獄絵が頭に焼き付いている。失った人を嘆く声、赤子の泣き声、壊れた家屋、家畜の死骸、作物ごとえぐられた畑。残った被害は莫大だった。そして、脅威が去った後、最も必要だと思ったのは人々の生活基盤を回復させることだった。
「おれは、農耕とは無縁の土地で育ったから、人の物を奪わずに暮らせる国はとても幸福だと感じていた。だから、荒れた畑を見ると落ち着かない。飢えは心を蝕み、無用の争いを誘う」
 こうして話すことで心の一部が開放され、軽くなった気がする。
「水場に対する執着は、子供の頃の・・・・まあ一種の刷り込みだ」
 (今のおれにも、できることがある)
 話して良かったと思う。素直に感謝したい。
 地図から顔を上げ、アクロに礼を言うつもりだった。だが、できなかった。あの・・・・濡れた黒い瞳に見つめられると正直たじろいでしまい、開いた口から感謝の言葉は中空に消えてしまった。
 対するアクロは余裕の笑みを絶やさず、丁寧に地図を仕舞い、農学書とともにロイナスの目の前に積み重ねた。仕草が一々色っぽいので、つい一部始終を注目してしまう。おれは本当は、すでに毒されているのかもしれない・・・・。
「良い機会だ。この書はきみに貸しておくから、学ぶといい。この先、他国でも徴税の監督をする機会があるかもしれない。それには一通りの農学と各地の耕作物を知っておくべきだよ」
「よいのか?」
「ただし、ボクが郷へ帰るまでの期限付きで」
 そう言い終えたとき、ミンミが部屋に帰ってきた。
 
「アクロ、筆と紙をもってきたよ。お絵かきするの?」
 見るからに重そうな道具入れを抱えている。アクロはそれを受け取ると、今度は箱の中から数十枚の墨絵を取りだした。本に綴ってもよいぐらいの分厚い束に、先程見た農学書の図説が丁寧に模写されている。机の横で、ミンミが元気に飛び跳ね主張した。
「これ、ミンミがかいたんだよ。字はまだへただけど、お絵かきは好き!」
 驚いた。才があると思う。幼くともミンミは賢者の従者だと、あらためて実感した。アクロはミンミの目の高さまで腰を落とし、優しく頭をなでた。
「ミンミ、写し描きしたものをロイナスにあげてもいいかい?」
「ロイナスが欲しいの?」
「うん、もらえるかな?」
「じゃあ、あげる。そのかわり、またあそんでね」
「ありがとう」
 ミンミの手から模写の束を受け取る。
 いくらでも、遊ぶとも。ミンミはどこまでも純粋で素直だ。このまま真っ直ぐ育ち、主に感化されないと良い。
「アクロ、感謝している」
 背中に向かってなら、躊躇なく言えた。
「正直なところ、あなたを疑っていた。何か別の心積もりがあるのではないかと」
 思って・・・・と続けて言いかけたところで、振り返ったアクロのうれしそうな顔が目の前に。距離がない。あり得ないことだが、悲鳴を上げそうになった。
「心積もりはちゃんとあるよ。ボクの頼みも聞いてくれないとね」
 
 
 ああ、やっぱりどれもこれも罠だったのか。おれは頭が悪い。すまないロインズ・・・・
 白昼夢。足下が崩れ、目の前が真っ暗になった。
 
 



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