- 小話・3 -


 窓から陽の高さを見る。
 そろそろあいつが来る頃合いだ。
 
 二国が統一され国王の政務が多忙になってから、おれたちは必要な時に会話をする程度だった。しかし一週間程前から、あいつは欠かさず毎日部屋へやって来る。わざわざ執務を抜け出して来ているらしく、ライデンにとがめられていた。
「陛下が度々話しかけられては、ロイナス殿のお勉強の妨げになるでしょう?」
 それ以降は、無言で入ってきて黙って座り、こちらが声をかけずに書物を読んでいたりすると、積み上げた資料と散らばった農学書の写しをただ眺め、部屋をうろうろ歩き回って黙ってまた出て行く。
 何か用か?と問うても、何でもないと答える。
 言いたいことがあるならば、はっきり言葉にすればいいものを。
 いつものロインズらしくない。一体何をしに来ているのか、さっぱりおれには分からない。
 (あたらしい日課か?)
 相変わらず、ロインズの行動は不可解だ。いつもなら放っておくのだが、今日はちょうど立案書も仕上がったので、評価を尋ねたい。いつもあいつが座る場所に置いておいた。
 扉が開いて、入って来た姿を書物の隙間から確認する。今日もまた無表情な上に無言。口元が微妙に堅いので、機嫌が悪そうだ。何か難しい議案でもあるのか。そうでなければ、ライデンとまた喧嘩でもしたか。気にはなるが、おれには公務の助力もできなければ、まして二人の間に首を突っ込むのは御免だ。
 日延べしても仕方ないので、意を決して声をかける。
「ロインズ、立案書ができた。覧てもらえないか」
 国王は返事もせず、紙を取り上げた。悪事を働いているわけではないが、なにやら気まずい時が過ぎる。おれはいたたまれなくなって、アクロに出されていた課題の教書を机の上に開いた。本当は見たくもなかったが、避けては通れない。適当に開けた頁に算術の式が待ち構えていて、さらに気が沈んだ。
 しばらくたって、ロインズはおれの目の前に手を差し出した。
「ペン」
 ペンを寄越せと言うことか。やれやれ、必要最小限、単語のみの会話か。差し出された手の上にペンをのせると、国王はすぐに立案書に書き込みをはじめた。訂正箇所が多くて胃が痛くなりそうだ。
「夕刻までに書き直して、ザートに渡しておけ。見積と地図を忘れるな。立案者はわたしでよい。明日の朝議に掛ける」
 淡々とした命令口調だが、不思議と腹は立たない。
 内容についての否定ではないし、おれに対する非議もない。むしろ、このように簡単に通してもらった事に驚いている。こんな苦労をしなくても、あの男が言うように「お願い」だけて良かったのかもしれない。
「すまない。すぐに直す」
 受け取ろうと手を伸ばすと、すかさずロインズが書類を引っ込めた。一体、何の冗談だ。子供かおまえは。
「ロイナス。おまえ、早く・・・・」
 言いかけて、ロインズはまた黙り込んだ。早く・・・・何だ?
 やはり、おかしい。無表情な顔をじっと見つめる。すこし、顔色が悪い様な気がする。
「どこか体でも悪いのか?」
 さらにのぞき込むと、ふぃと顔を背けて書類を押しつけてきた。
「また来る」と言い残し、出て行こうとする。そこへ、扉を叩く音と共にライデンが姿を現した。
「また、こちらでしたか。陛下・・・・」
 すこし、呆れた様な口調だ。
 (ああ、また始まるぞ。今日は説教か?)
 おれの部屋の中では、表では決して聞けないような二人の会話を聞くことができる。会話というか、くだらない喧嘩が多いのだが。
 今日は急ぐ書類があるので、おまえ達に構っていられない。
 無視だ、無視。なるべく二人を見ないように顔を伏せ、書類の書き直しに没頭する。
「邪魔をしてはいけないと、申し上げましたよね」
「分かった、もう出て行く・・・・」
 おや。今日はあっさりとライデンに応じて喧嘩にもならなかった。珍しいことだ。やはり弱っているのか?
「すみません、気が散って作業が進まなかったでしょう?」
 ライデンが優しく声を掛けてくれた。寡黙で無愛想というのは、あくまでも公事の顔で、本来の姿は聡明、誠実でとても思慮深い女性だ。
「何もお手伝いはできませんが、ここに近づく隙を与えない様に、もっと執務を詰め込んでおきますから」
 一瞬、ペンが止まる。・・・・何かの聞き違いだと思う。深く考えてはいけない。このまま聞き流しておこう。
「ロインズ様はとても楽しみにしておられますよ。ロイナス殿が早く・・・・」
 『余計なことを言うな!行くぞ、ライデン!』
 半ば強引に会話を中断した。王様は少し気力が回復したらしい。
 ライデンは苦笑して国王に付き従った。二人の後ろ姿を見送っていると、ライデンが去り際にそっと振り返り、唇だけを動かした。
 (あとで、お話があります)
 軽くうなずいて返答をする。彼女の口から、国王徘徊の理由が聞けるのかも知れない。かなり興味深い。
 
 さて、立案書も仕上がり・・・・避けられない課題にいよいよ対面だ。正直やりたくない。だが今回最も苦労したのはこの点だ。
「測量」
 川の距離、橋の正確な長さと問われ、過去の数値を探して、埃まみれの書寮に丸一日籠もるはめになった。その場で測量しておけば難はない事だった。今後調査を続けるときにも、必要となる技術には違いない。やさしい賢者が、教書とともに他国製の新しい測量器を貸してくれた。もちろん条件付きだから、おれの負債はまた増えたのだが。
 教書を再び開ける。図形と数字が並んでいる。
 
 ・・・・よく分かった。
 ただ書を睨んでいるだけでは、時間の無駄だと言うことが。
 誰かに教えを請うのが得策だ。
 しかし、賢者にまた借りを作って、これ以上「お願い事」を増やされるのはいやだ。この場合メイサ先生しか思いつかないので、アクロが帰った頃を見計らって書庫に向かう。
 
「測量のやさしい解説書?それなら陛下が持って行かれたわ」
「ロインズが?いつだ?!」
「一週間ほど前だったかしら。勉強会の後にね」
 訳が分からない。ロインズがなぜ本を??
 混乱していると、メイサ先生から一冊の本を手渡された。
「はい、アクロさんから。もっとやさしい教科書を預かっているわよ」
「・・・・ ・・・・」
 負債が返せず、おれはいつか賢者に売り飛ばされてしまう気がする。
 
 
 部屋に戻って、とりあえず机の上に教科書を置き、しばし眺める。
 頁に紙が挟まっていて、そこに賢者の「お願い事」が書かれていると直感したからだ。
 紙をおそるおそる指でつまんで引き出し、開いたところで、扉を叩く音がした。ライデンだ。おれは賢者の「お願い事」より「王様の秘密」を早く知りたい。
「あいつは一体何がしたくて、ここへ来ていたんだ?」
 単刀直入に尋ねると、ライデンは笑いながら明快な答えをくれた。
「ロインズ様は、早くあなたとあの測量器を使ってみたいのですよ」
 ロインズの意外な一面を知って、唖然とする。
 そうか、あいつがわざわざおれの部屋へ来て眺めていたのは、賢者に借りた測量器だったのか。言われてみれば、あの棚の前をしきりにうろうろしていた気がする。「早く」とは、おれが立案書を優先し、測量の勉強を後回しにしていたから「さっさと勉強しろ」と言う意味だったのだ。
 あまりに子供っぽい理由で、思いつきもしなかった。
 (まるで玩具を待ちきれない子供だ)
 そうと分かると可笑しくて笑える。
「急ぐ政務はだいぶ片付きましたので、一日ぐらいはお休みが取れると思います。外へ出かけて実際に使ってみませんか?」
 ライデンの提案に賛成だ。
「わかった。おれもその前に教科書ぐらい読んでおく」
 そう言って視線を下ろすと、後回しにしていた賢者の「お願い事」の紙が目についた。
 
『昔、ボクが教えた事を覚えているなら、器械の使い方は王様が知っているはずだ。第一節まで読んだら、実際に使ってみると良い。部屋に籠もらず、たまには外に出たらどうだい?』
 
 ライデンがそれをのぞき込み、苦笑した。
「わたしには器械の扱いがちょっと難しくて、二人の話に加われなかったので・・・・昔、すねて喧嘩したのを覚えています」
 そうか、これは三人が共有した思い出なのか。
 ロインズが昔のことを確かに記憶しているのだと分かって、安心した。ライデンの帰城で、ロインズはあきらかに変わったと感じる。おれが来る前のあいつのことは何も知らないが、少なくともこんな子供じみた理由でここまで行動を起こしたのを見たことがなかった。
 (変わったのではなく、戻ったのか?)
 
 余計なことは考えまいと思っていたが、ライデン追放の真実を知って分かったことがある。
 (おれが来たことで三人の時間が壊れた)
 言い換えれば、おれがこの首飾りを持って現れなければ、ロインズはあんな馬鹿なことをしなかったはずだ。
 
「ロイナス殿、感謝しています」
 ライデンの意外な言葉に、驚いて顔を見る。
「あなたの説得がなければ、私はここへ戻って来なかった」
 (しかし、おれは・・・・おれがここへ来なければ、君があの時追放されることはなかった筈だ)
 おれは言いたい言葉を飲み込む。
 そのかわり、ライデンの口から聞きたかった事をたずねた。
「君は・・・・ロインズを恨んでいないのか?」
 彼女はこの質問を予測していたのか、すぐに口を開いた。
「恨みはもうありません。昔の私のままだったなら、あのままロインズ様に仕えていられなかった。すべて、今につながるために必要なことだったと思えます。放浪の7年間がなければ、今の私はありませんから」
 そして、まっすぐおれを見て、
「ロインズ様はご自分の周りからすべてを遠ざけようとしていた。けれど今、私はこうしてここにいる。パズルやアルハイドさん達のような天界人・・・・アクロもあなたが連れてきたのでしょう?ロインズ様を変えたのはロイナス殿、あなたです」
 不覚にも心の奥底に響いた。ライデンの言葉には世辞も飾りもない。偽りのない言葉だと信じられた。
 (おれがここに来た意味があった)
 そう思えた瞬間だった。
「それで、いつ頃出かけられそうですか?」
 ライデンが急に話題を変えた。もしかしたらおれが泣きそうな顔をしていたからかも知れない。
 大きく息をついて、何とか取り繕って答える。
「第一節だけなら、半日もあれば」
「でしたら明後日に。明日こそ終日、王に邪魔させませんよ」
「よろしく頼む」
 二人で笑いあった。ライデンの涼やかな笑顔。この笑顔が傍らにあれば、ロインズももう二度と馬鹿な事をしないだろう。
 彼女こそロインズの一番の理解者だ。
 
 
 おれからは返せなかった『王子様の絵本』幸福な時間の象徴。
 明日は新月だ。おれが知る「王様の秘密」と一緒に、今日ここでライデンに託そうと思う。



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