夜毎繰り返される滅びの夢は神の啓示だと畏れてきた。 月明かりのない夜に瞳を閉じれば、夢をうつつに遷す。 迷信だとわかっていても、そう信じるだけの凶事も不運も目の当たりにしてきた。 滅びの元凶たる自らを屠るため、毒を呷り闇へ落ちた夜。国にも王家にも民にも囚われない自分がいた。今となっては、死の直前にも死後にも許されぬ事。しかし再びあの瞬間の、胸を焦がすような夢を見ることが出来るなら・・・・誘惑は今でも奥底に潜む。 瞳を開けたまま、畏れも、迷いもすべて闇に沈める。うつつには何も還してはならない。心一つ動かしてはならない。 人の気配がして我に返る。 「眠れませんか?」 気付けば、寝室の戸口にライデンの声。 「なぜここにいる」 「ロイナス殿から王様の秘密を一つ、いただいて参りました」 暗闇の中、目をこらすが何も見えない。だか、かすかな足音が躊躇なく寝台へ近づいてくるのが分かった。彼女の目は暗闇に慣らされているらしい。すぐ間近で声がした。 「明かりをつけましょう」 「いらぬ。何をしに来た」 まるで聞こえていないかの様に、枕元の燭台に明かりをともす。そして寝台の横に腰掛け、『王子様の絵本』を示した。 「新月の夜、王様は眠れない夜を過ごすので、絵本で寝かしつけてこいと」 見覚えのある絵本だ。誕生日に父王から賜ったおとぎ話の本。甘い夢物語などもういらぬと、確か牢屋の本棚に押し込めていたはず。 「ロイナス・・・・馬鹿な事を」 嘆息をもらす。 「どのお話がよいですか?王子様の話、魔女の話、竜の話・・・・」 ライデンが目次を開く。 「終わりの話はいかがです?死に損なった一人の男が還ってくる話」 構うつもりはなかった。だが告げたはずのない過去の罪を、突かれたと錯覚した。 「やめろ」 ロインズは低く声を押し殺す。 絵本を取り上げようと手を伸ばしたが、ライデンが身を翻し、届かなかった。 「もし、眠っておられたのなら、私はそのまま立ち去るつもりでした。でも、あなたはまだ眠れない」 睨み付けるロインズに真っ直ぐ視線を返し、ライデンは続けた。 「あなたは、夢をうつつに還すことを怖れている。ただの迷信に過ぎないことは誰もが知っていると言うのに」 「もうよい、構うな」 「いいえ、構います。私がお側に戻ったのは形だけ? 隠さず告げてください。ただの子供に過ぎなかった頃とは違います。今の私なら、何を言われても重荷には感じません」 「・・・・」 「迷信の消し方も、ご存じでしょう? 悪夢なら、人に告げるだけで真実にならないのです」 押し黙るロインズを前に、ライデンは再び寝台の横に座り直した。 改めて絵本を開き、三枚の紙が挟まった頁を開いたまま手渡す。 促されて見るとそのうちの二枚には見覚えがある。一枚目は自分が、二枚目はロイナスが読み書きを覚えた頃に、感想として書かせたものだ。それから最後の一枚。 「これは?」 「ミンミという少女、アクロの従者が書いたのだそうです」 ライデンの口からアクロの名を聞くとき、意識して遠ざけていた感情が無意識に動く。 「おまえは、わたしの何を聞いた?」 「何も聞いてはいません。過去のことはどうでも良いのです。ですから、どうかこれからのことを・・・・」 (変わられたほうがよい) 賢者の言葉が頭に残っている。彼はすべてを知っていた。だが、直接の言及は何一つしてこなかった。 手にした紙片の、たどたどしい書き文字を目で追う。 (しななくてよかった・・・・) もう分かっている、あれは死ねない毒だったのだ。 「もう一度おたずねします。私がお側に戻ったのは形だけ?あなたが欲しかったのは、ただついて回るだけの従者ですか?」 責める口調ではなく、淡々と、ただ静かにライデンは続けた。 「7年の償いの代わりに誓って下さい。もう秘密は作らないと」 燭台のほのかな明かりが、ライデンのうつむく顔を照らす。 (泣いているのか) 何も感じなかった心の奥に、細波が立つ。 「馬鹿な事を」 言葉と裏腹にロインズの声は微かに震えた。 細波が重なり波紋が広がる。 ロインズは顔を背け、両手を握りしめる。 「神は信じない。誓えない」 「でしたら、この絵本に誓ってください」 ライデンは絵本を閉じ、ロインズの右手を取って表紙にのせ、自分の右手を重ねた。 「私も誓います。もうあなたを一人にはしません。たとえお側を離れることがあっても、心はいつもあなたと共に」 「ライデンそれは・・・・」 息をのむ。分かって言っているのか。それは別の誓いの言葉だ。 甘い夢の誓いに胸が疼き、闇が遠のくのを自覚する。漠然とした神への畏怖に対して、雑念とも言える感情が勝った瞬間だった。 これは二人の絆を確かめる儀式。ライデンが何一つ、まったく自覚していないのを分かっていても、心の中で何かが跳ねる。 大きく吐息をつく。 「・・・・分かった。おまえには何も秘密にはしない」 「不安も悲しみもすべて偽らないと」 「誓う」 今この時、闇も悪夢も彼方へ飛んだ。 (わたしもやはり、人の子か) 温もりを確かめるように、ライデンの右手に自らの左手を重ねる。 ぽつり。近くで雨音がした。明日は雨か。ロイナス達と測量器を試しに行くはずだったが、雨ならば仕方ない。明日の休みは、ライデンと二人で過ごしてもいい。 ぽつり、ぽつりと規則的に雨音が増した。 これまで押さえ込んでいた感情が次第に零れ落ちる。 迷ったのは、ほんの一瞬だった。 「ライデン。早速だが、一つ目の秘密を聞いてくれぬか」 彼女の右手をそっと引き寄せ、その耳元に唇を寄せる。 無防備なライデンは避けようともしない。 ・・・・あと少し、吐息がかかる程に近づいたとき、 急に雨音が変わった。 ゴツン。 なんだ、この音は? 思わず、窓のある壁を振り返る。まるで、石でもぶつけたような音だ。 「ああ、時間のようです」 ライデンは何事もなかったように立ち上がった。 「お話の続きは、明日にでも」 一瞬の差で、振りほどかれた手を掴み損ねる。 すでに一歩離れたところに立つライデンが、やわらかく微笑む。 「私も、一応嫁入り前なので。間違いがあってはならないとのことで。・・・・そろそろ退出の頃合いかと」 カツン。 再び音がした。 寝台から跳ね起き、窓の外を燭台で照らす。 あり得ないことだが、暗闇の中、石を持って振りかぶる人影と視線が合った気がした。なぜか直感的に相手が誰か分かり、思わず手近にあった壺を投げつける。が、手元が狂って当たらなかった。 我に返り、部屋の中を振り返るがすでにライデンの姿はなく・・・・。 (ロイナス、覚えていろ・・・・) 805さんからのアンケート 9)小話4の直後、ンズ様が取りそうな行動パターンはどれですか? a.ライデンを追いかける b.ロイナスを殴りに行く c.何事もなかった様に、寝台に戻り次の作戦を練る d.他 作者の回答 → cに近いdで。 何事もなかった様に寝台に戻り、何事もなかった様に寝ます(笑) |