- 小話・5 -


 夜半から激しく降った雨は嘘のようにあがってしまい、鳥のさえずりとともに、朝靄がたちこめる。草木が雨で洗われ、緑が瑞々しい。見上げれば雲一つない空が広がっている。
 (晴れてしまった・・・・)
 ロイナスは重い瞼を気力で開けて、毛布の隙間から枕元の壺を見る。
 緋色の壺。
 昨晩頭上から降ってきたものを、とっさに受け取ってしまった。その場に置いてくればいいものを、気が動転していて、持って帰って来てしまった・・・・。
 (間違いなく、おれと分かって投げてきた)
 寝不足の頭で昨晩の事を思い返す。
 
 背後からの殺気を幾何か感じつつ、まだ小雨のうちに、なんとかライデンを宿舎まで送り届けた。
 「秘密は作らないと、お約束をいただきました」
 「そうか、よかった」
 たとえ口約束だとしても、ロインズの身近なところに心の拠り所があるのが良い。常に傍らに仕えるライデンだからこそ意味がある。
 「ありがとう」
 「いえ、こちらこそ。本当に良い頃合いでした」
 あなたの合図がもう少し遅かったら・・・・そうつぶやく彼女は、手持ちの薄明かりでもわかる程頬を赤く染めていて、その後のロインズの様子を尋ねることが出来なかった。
 では、もう少し遅かったら、一体何があったと言うのか。あのロインズが壺を投げてよこすほどの出来事とは?
 ・・・・・・・・
 ・・・・
 いや、いまさら二人の間を邪推してもしかたない。
 気力を振り絞って起き上がる。とにかく先に出かけなくては。
 ロインズ達と一緒に城下を出歩くわけにはいかない。身支度を整え、おなじみの外套を目深に被る。荷はザートが馬車に用意してくれているはずだ。
 まず先に、商業区に寄って、ミンミを拾ってゆく。
 昨日のうちにアクロも遠出に誘ってみたが、予想通り芳しい返答はもらえなかった。それはいいとして、気になっているのは、部屋の外で待っていたシーザーが帰り際にこっそりと耳打ちしてきた言葉だ。
 「俺はアクロを見張っている。及ばないかも知れないが、健闘を祈る!」
 見張るって、アクロは何か起こすつもりか。
 ・・・・・・・・
 ・・・・
 せっかくの遠出だ。
 この際、王の白馬に蹴られようが、荷馬車ごと賢者に売り飛ばされようが構わない。
 何が何でも有意義な一日にする!
 
 
 (平常心。平常心。隙を見せてはいけない)
 深呼吸一つ。
 自己暗示をかけながら、扉を叩く。
 「ライデンです。失礼いたします」
 1、2、3。返答なし。再度手を上げたところで、扉が内側から開いた。
 「何をしている、早く入れ」
 「!」
 いきなりロインズにうでを掴まれ、有無をいわさず部屋に引き込まれる。
 (うっ、まただ)
 外出や公務の際に、恒例のように行われる衣装合わせ。社交界に出たときですら、「すべてお任せ」でやり過ごしてきた身である。はっきり言って苦手だ。
 度々変えなくても、制服でもあれば構わないと意見したところ、貴族達が献上品として送ってよこした織物を有効に、かつ公平に用いなくて何とするか、仕立ての職人達の熟達や向上心に関わるのだぞと延々聞かされ、最後のとどめに「私のすぐ後ろに立つからには無精は許さぬ」と。
 もう従う以外なかった。それでも一応、選ぶ余地は与えてもらっている。
 「三択にしてある。選べ」
 唐突に目の前に衣装を並べられて、一体何を選べと言うのか。
 ・・・・だが、嘆いていても仕方ない。例に倣って直感で決める。
 濃い緋色のコットに銀刺繍入りの黒のダブレット。城下を出るときには外套で隠れてしまうのだから、悩んだところで時間の無駄だ。
 「ではこれを」
 「うむ。では今日は私が、それに合わせたものを選ぼう」
 (合わせる・・・)
 いやな予感が。この場合、装飾品も対となる揃えのものを、身につけさせられる。仰々しいのは慣れないし、物によっては動作が一々制約されるのが不快だ。これまでの放浪生活で質素倹約に努めてきた自分としては、慣れることができない。
 ここで抵抗しておかなくては、またどんな姿に出来上がることか・・・・。
 「陛下。本日はお忍びでの遠出ですから、目立つ装飾品は控えていただかなくては」
 今日はきちんとした理由があるので、これは正論だろう。しかし、通常ならこのあと十数の反論を覚悟しておかなくてはならない。心の中で身構える。
 ロインズがすぅと目をほそめ、瞳の奥に影が増す。
 わずかな沈黙の後、
 「そうか、分かった。今日は控えめにしておこう」
 あっさりと了承されたかの様だが、最後まで気は抜けない。
 隣室で着替えを終えて、再び戻ると姿見の前に立たされる。案の定、ベルトとブーツには銀糸の飾りが、外套を止めるブローチは瑪瑙飾りに替えられている。
 まあ、このぐらいは我慢できる。
 「ふむ」
 王はぐるりと身の回りを一巡した後に、彼女の背後に立った。
 後ろを取られたライデンにしてみれば、内心穏やかではない。無防備なままに距離を縮められると、昨晩の事を思い出さずにはいられない。
 (平常心。平常心。隙を見せてはいけない)
 再度呪文の様に唱える。これは直感なのだが、たとえその気が(どの気が?)なくても、逃げれば追われる。試されているのだ。
 鏡越しに視線が合う。
 「ライデン」
 ロインズが名をやさしく呼び、手を伸ばして後ろ髪にそっと触れる。逃げ出したい気持ちが募る。このままでは、必死で平静を装っていたのが無駄になりそうだ。
 「毛先を整えて髪を伸ばせ。おまえの髪を梳いてみたい」
 
 緊張の糸が切れた。
 
 「陛下、いい加減になさってください。このままでは城内に居るうちに日が暮れます!」
 屈んで後ろ髪を両手でかばいながら、ライデンは半ば涙目で叫んでいた。
 「おまえは今でも、髪を触られるのが苦手なのだな」
 王の楽しげな笑い声が部屋の外にも響く。
 
 最近よく耳にする王の笑声は、帰城したライデンの「功績」に間違いないと、周囲の者は囁きあう。この場合の真相は、一方的にライデンがからかわれ、遊ばれているだけなのだが。
 こっそりと控えているザートは、真実を知っていてもなお、「ライデン。よくぞ帰ってきてくれた」と一人、涙するのであった。
 
 
 
 
 待合の場所でミンミをロイナスに預け、アクロとシーザーは馬車を見送った。
 
 その帰宅途中、アクロが唐突に切り出す。
 「シーザー君。少し相談があるのだが」
 「わかっている。ロイナス達を追うんだろう?」
 シーザーは全く反論しない。アクロは意外そうに、その横顔を見つめる。
 「おや、反対するものとばかり思っていたよ」
 「しかたないだろ、ミンミが・・・・すまない、これは俺の責任だ」
 ひたすら落ち込む弟に、兄は優しく背をたたく。
 「ミンミは大丈夫だよ。あの三人に囲まれているのだから。ボクが心配するのは別のことさ」
 そうだ、確かに兄の言う通りなのかも知れない。あの三人なら、あの位のことには全く動じないに違いない。
 「では急ごう。馬はタンが用意してくれているから」
 「なんだよ、やっぱり最初から邪魔しに行くつもりだったのか」
 「逆だよ。ボクがあの中に入っていては王様の気晴らしにはならないからね。これでも気を配ったつもりだよ」
 アクロとロインズの関係は、従者と弟、どちらの視点から見ても不可思議だ。一言も言葉を交わさないのに、互いの行動や思惑を理解しているように思える。見えない信頼関係がある気もするが、同じ部屋に二人が会すると妙に空気が緊迫するのだ。
  ミンミのことも心配だが、アクロを王に近づけて良いのか悩むところだ。知り合いとはいえ、互いの負う地位と役割は重い。気軽に会える仲ではない。
 「大丈夫だよ。無茶はしないし、何かあれば君が助けてくれるだろう?」
 「もちろんだ」
 迷わず答える。
 とにかく、今は彼らに追いつかなくては。下手をすると、同胞の命にかかわる。
 「いそぐぞ、兄貴」
 
 
 
 ロインズ達との待ち合わせは、城下から離れた東の森の出口。
 目印となる大理石の大岩がある。
 手綱を握るロイナスの隣で、ミンミは床に届かない足を所在無さそうにぶらぶらさせている。ずっと長いこと黙っていたが、ようやく話しかけてきた。
 「わたし、来て良かったの? 王様、怒ってない?」
 ロインズと庭園で出会った時の事が、心に残っているらしく、うつむいたまま元気がない。
 「昨日は、元々機嫌が悪かっただけだよ」(日頃はもっと愛想が良い。外面だけだが)
 「王様・・・・いつも笑顔しか見たことなかったから、怖かった」
 「そうか? 俺はあいつの笑顔のほうが怖いぞ。逆に不機嫌そうな顔を見せるのは、気を許しているということだ」
 「そうなの?」
 「そうだよ」
 ようやく少しだけ笑顔が戻る。
 純真なミンミを見ていると、主のアクロも善人に違いないとわかるのだが、なぜか胡散臭いと感じてしまう。笑顔の下で何を考えているのか、読めない感じがロインズと重なる。もっとも、本人達には口が裂けても言えないことだが。
 
 馬車を進めながら、後方にも注意を向ける。
 二つ目の丘を越えたあたりから気になっていたが、そろそろ確信に変わる。
 (つけられている)
 二頭立ての幌付き馬車が、付かず離れず、一定の距離を保って後ろを走っている。
 自分たちが運ぶ馬車の荷は測量器なので、振動に注意が必要だ。ゆっくりとしか進めない。追い越してゆく商隊はあっても、こちらの徐行にぴたりとついてくる連中は怪しいことこの上ない。
 最初はアクロ達かと思ったが、こんなわざとらしいやり方は好まないはずだ。
 では、誰が? 目的は何か?
 ミンミが不安にならない様に適度に会話をしながら、頭の中で幾通りか考えを巡らす。
 城から商業区までは、白狼兵団の監視があったはず。つけられたとすれば、商業区以降の道筋か。朝市も立っていたので、通行量が多かった。相手が特定できない。
 「少し休憩しよう」
 丘を下ったあたりで馬を止める。待合の場所より手前だが、念のためロインズ達が追いついてくるまで、ここで待つことにする。そう時間はかからないはずだ。
 ミンミを馬車から降ろし、荷を確認するふりをして、来た道を警戒する。
 幸い、怪しい馬車が丘を下ってくる気配はない。差し迫った危機は去ったようだが、丘の手前にあった分かれ道の先は、確か森の出口に通じている。この先での待ち伏せもあり得る。
 「ミンミ、ロインズ達をここで待つとしよう」
 「うん、わかった。お茶にする?」
 「そうだな。そうしよう」
 お茶の準備が出来るよう、ポットの入った荷とキルトを側の木陰に下ろす。
 「あのね、シーザーといっしょに、朝市でいい物を買ってきたの。あとで見せるね」
 ミンミは大きな包みを大事そうに抱えて、微笑んだ。
 (この子に害が及ばない様にしなくては)
 最大の優先事項は、この一点につきる。
 
 
 程なく、丘の上から早駆けで近づいてくる二騎を認めた。先頭の駿馬の流れる様な走りは、遠目からでも見間違いようがない。ロインズ王、そして後ろに続くのはライデンだ。
 「待ったか?」
 「いや、思ったより早かったな」
 王は馬を下りたあと、愛馬の首を軽く叩き、たてがみを何度か撫でつけると手綱をライデンに預けた。
 「丘の手前で妙な馬車を見た。後方から、何度か威圧して追い上げたら、分岐で逸れたが」
 「そ、そうか」
 さすが白狼というべきか。好戦的な対処法だ。常人にはとても真似が出来ない。
 視線を向けるロインズにつられ、ロイナスも丘を振り返る。
 「おまえ達の連れか?」
 「誘ったつもりはないんだが」
 「轍の深さからして、後ろに5,6人は乗っている。さぞ窮屈だろうな」
 幌で隠れる様に乗ってくるとは、ますます怪しい。
 「堅気ではないと?」
 「昨日の朝議で、賊の名がいくつもあがっていたな。おまえにも廻しておくべきだった」
 「不穏だな。賊は城下見学の帰りか?」
 「分からんが・・・・まあ、少し待て」
 そう言うと、ライデンとミンミが話している方に軽く顔を振り向けた。
 「つけられるとしたら、あちらの可能性もある。私が尋ねて、また泣かれては参る。ライデンに任せよう」
 
 
 「こんにちは、ミンミさん」
 草地にキルトを敷き始めていたミンミに、馬を引いたライデンが後ろから話しかける。
 振り返ったミンミは、最初相手が誰か分からなかったらしく、ただ不思議そうに見ていた。
 「この間は、おうちを騒がせてごめんなさい」
 この一言で、思い出したようだ。
 シーザーが連れてきたお客さん。(アクロの大切な人だ)
 「おねえさん、この間の・・・・ライデンさん?」
 「ええ。今日はご一緒できてよかった」
 
 彼女は馬の引き綱を個々の枝に結び終えると、ミンミと一緒にキルトを拡げはじめた。
 濃い藍染めの下地に、白や紫、緋色の絹地を花弁のモチーフにして縫い付けてある。淑女の手習いとして覚えさせられていた、刺繍やアプリケを懐かしく思い出す。
 「綺麗な絹地ですね」
 モチーフの一つを指先で触れる。すると、ミンミが目を輝かせて、
 「あのね、この緋色の絹地はね、わたしの晴れ着だったの。もう着られなくなったから、おびや髪かざりにして、残りはキルトにぬってもらったの」
 うれしそうに話す笑顔には曇りがない。愛おしんで育てられて来たのだと想像がつく。主としてのアクロはとても優しい男なのだ。
 そう考えながら胸の奥が痛むのは、彼女の中に未練がましく想いが残っているせいだ。
 だが、いつまでも心を残していてはいられない。ロインズから約束をもらった今、気持ちを切り替えなくては。
 「アクロと仲直りできた?」
 唐突に問われてライデンは戸惑う。どう答えていいか言葉に詰まっていると、
 「あのね、アクロ、きっとライデンさんのことが好きなんだよ」
 「え?」
 「ライデンさんとけんかしたあと、ずっとお部屋から出てこなかったもん。きっとすごく、すごーく、こうかいしていたんだと思う。うん」
 うんうんと首を上下に振る仕草がかわいらしくて、自然と笑みがこぼれる。
 「私も、喧嘩したあとに落ち込みました」
 正直な気持ちだ。
 子供の話とはいえ、アクロが自分を気に掛けてくれていると思うと嬉しい。結局の所、自分には何も割り切れていないのだと自覚する。
 「ミンミさん。昨日から今日に掛けての出来事を、もっとお話してくれませんか? アクロとシーザーの様子とか。」
 「どんなこと?」
 「どんなことでも。例えば、いつもと違うところに行ったとか、人に会ったとか・・・・」
 ミンミは何を話そうか、懸命に考えているところだ。
 
 「最悪の場合このまま引き返しても良い」と、すでに王の決断は出ている。
 だが、故郷に帰れず寂しい思いをしているミンミに、できるなら今日一日楽しんでもらいたい。せめて相手の思惑が分かれば、安全を確保しながら遠出が続けられるのだが。
 
 
 会話までは聞き取れないが、二人の話は笑いを交えて続いている。
 馬車に寄りかかりながら、それを眺めるロインズの横顔は、とても穏やかだ。
 ロイナスの視線に気付き、
 「なんだ?」
 「いや、とんだ休日になったな」
 「別に構わん。朝からもう十分楽しんだ」
 彼には珍しく、思い出し笑いなどしている。ここに来るまでに、何かあったか?
 「昨晩、少しは眠れたか?」
 「ああ。夢は見なかった」
 「ならばよかった。・・・・壺、おれの部屋にあるぞ。後で返す」
 
 少し間を置いてロインズが笑顔で答えた。
 「取りに行くから、置いておけ」
 ああ、これだ。
 この、何かを含んだ満面の笑顔が何より恐ろしい。
 
 
 やがて、ミンミがうれしそうに、持ってきた荷物を彼女に広げて見せ始めた。包みの中からは、五段の重箱。ふたを開けて彼女たちは楽しげに話をしている。
 ライデンがこちらを向いて、呼びかけてきた。
 「ロインズ様、こちらへ。彩国自慢の菓子・・・・点心を召し上がりませんか? とても美麗で、食するのがもったいないぐらいですよ」
 招かれて、二人はキルトに歩み寄る。
 ライデンが見せる重には、細工をこらした菓子が賑やかに飾られている。
 彼女はロインズに目配せをしながら、
 「ミンミは陛下からいただいたライムを、商人に買い取ってもらって、そのお金だけで、この点心を買ってきたのだそうですよ。シーザーと一緒に」
 この場合、やや説明口調なのは致し方ない。しかし暗に伝えたいことは、的確にくみ取れた。
 今期のライムは高値で売れる。だが、たった二つの実でこれほどの菓子が買えるとは思えない。
 推察すると、おそらく商人のほうに何かしらの思惑があって、ミンミに目をつけた可能性が高い。裏で盗賊にでも通じていて、ミンミの行く先を追ってきたのだろう。
 アクロがこんな迂闊なことをするはずはないから、おそらくシーザーの手落ちだ。心根の素直な弟のことだ、単に商人の好意と受け取ったか。
 
 狙われた対象と理由がおおかた分かったのだから、何らかの対処が必要だろう。
 ロイナスが「どうする?」と小声で問いかけると、
 「もらおう」
 ロインズがキルトに座り込んだので、仰天した。
 「おい」(ちがうだろ)
 「あわてるな、あの男に抜かりはない。その程度のことなら手出しは無用だ」
 軽く切り返された。さらに続けて、
 「おまえも座れ。彩の点心は絶品だぞ。食べている間に事は済む」
 王は悠然として箸を取ると、点心に手を伸ばした。
 
 
 愛馬の話、庭園の花の話。彩国との風習の違いなど、王様はミンミにいろんな話をして聞かせた。
 少女は王の膝に乗り出さんばかりに聞き入っている。
 (ライデンがいると、こうも違うものなのか?)
 なにやら不思議な感じがする。今日のロインズは別人のようだ。
 ただ、王城に出る幽霊の話は、少女が涙目になった時点で、ライデンに止められていた。
 
 二の重の途中まで食べ進んだところで、
 
 どん
 
 前触れもなく、森のほうから、大きな音がした。
 森の樹々から小鳥が一斉に飛び立ち、烏がギャアギャアと耳障に叫んでいる。
 「なんのおと?」
 ミンミが森をじっと見つめた。
 黒煙があがり、風に乗ってかすかに火薬の臭いが漂ってきた。
 ロイナスとライデンの動きが一瞬止まる。
 「はっ、はー、花火かな?」
 ロイナスが慌てて取り繕う。火薬の発破音とはもちろん言えない。
 爆薬は論外だ。殺傷力がありすぎる。
 そんな物騒な物を使う相手はただの賊ではない。
 このまま、悠長にここで時を待っていてよいものか?
 皆が黙り込む中、ロインズだけが平然としている。
 「ライデン、お茶を頼む。冷ましたのが良い」
 ロインズは熱いのは苦手らしい。いわゆる猫舌という。形式通り、毒味の済んだ食事しか口に入らないのだから仕方ない。
 だが、この状況にその態度はあまりに非道ではないか? そうロイナスが意見しようとしたときに、なにかひやりとした空気が横から・・・・
 ライデンが黙って、ロインズの差し出す器に煮立ったばかりの熱湯を注いだ。
 あからさまな行動に、王が固まった。
 「・・・・・」
 「・・・・・・・・」
 この二人のにらみ合いは、なかなか迫力がある。
 まず止めようなどという気はおきない。
 ミンミにもこの緊迫した空気は伝わったらしく、王と側近、二人の表情を心配そうに見守っている。
 「ロインズ様。給仕以外のご指示を」
 ゆっくりと、ライデンが話しかける。
 「心配か?」
 「貴方と同じくらいには」
 「私は別に心配など・・・・」
 「昔から、気がかりがあると、饒舌になられる」
 そうか。ロイナスは深く納得する。
 (やたらとしゃべるロインズはアクロの事が気になって仕方なかったのか)
 
 王は視線を外し、いかにも不本意そうな口調でようやく指示を出した。
 「・・・・分かった、おまえに任せる」
 
 ライデンは、状況が飲み込めていない少女にこう説明した。
 「ミンミさん。この先の森に狼がいるかも知れないので行って見てきます」
 「狼? 狼が花火?」
 「もし山羊が襲われていたら助けてきますから」
 「やぎ?」
 きょとんとした表情で、ミンミは問い返す。
 「いるとしたら垂れ目の山羊とその弟だ」
 横やりを入れるロインズの毒舌に、側近の冷たい視線が。
 
 ライデンは馬車から綱と革袋を持ち出し、馬の鞍に結んだ。
 「ライデン、終わったら山羊を引きずってでも連れてこい。釈明させる」
 王様は大変ご立腹の様子だ。
 「行く先は北に、私の森に変える。無事に戻れ」
 「わかりました」
 苦笑とともに、騎乗する。
 「では、先に王の森でお待ちください」
 馬の腹に軽く鐙を入れ、ライデンは東の森へ向かった。
 
 
 
 東の森。元は小さな沼があるだけだった。そこに先々代の王がコルクガシを植林し、林から森に育った。そしてこの森の砂防のおかげで、風下の村は畑を維持できるようになったのだ。十年前に森の一部が火事になり、ライデンがこの国を追放されたときには、まだ焼けて痛々しい姿が残っていた。ようやく今の姿に回復し、燃え残った古木の横たわる林床には、他の森にはない茸が通年豊富に育っている。
 今日ここを待ち合わせ場所にしていたのも、待っている間、ミンミに茸狩りを楽しんでもらおうという主旨だった。
 
 
 森に入る少し手前で、馬を止める。殺気はこちらには向いていない。騒動のあった場所は、やはり森の向こう側だ。
 砂防の役割から、この森の木は直立出来ず、ひどく曲がりくねって背も低く、見通しが効かない。木の特性から木の上に登って隠れるのは無理だ。身を潜めるとすれば低木の茂みか岩陰しかない。
 もしアクロ達が森のあちら側にいるなら、試してみたいことがあった。
 思考の中から日常の雑多なことを消し去り、感情を極限まで落とし込む。
 ピューイピィー
 指笛を二回。
 ざわりと、潜伏する者達の注意がわずかにこちら側に向けられるのが分かった。
 案の定、相手との距離はまだ遠い、
 耳を澄ましてさらに待つ。
 ピューイピィーピィー  指笛が三回になって返ってくる。
 さらに別の方向から一回。  ピィー
 アクロ、そしてシーザー。それぞれの返事に間違いない。
 昔遊んだ、陣取り遊びの合図そのままだ。
 目的は、指笛の方向から味方の位置を知ること。なるべく死角を作らない様に有利に移動するためだ。アクロ達はすでに森に入っている。それは、賊がこの森にいる数だけしか残っていないということだ。せいぜい十人程度だろう。
 少なくとも、今の指笛の合図で、味方の応援が来たのだと彼らに伝わったはずだから、数の不利を補うためにも間を置かず行動する。
 ライデンは馬の鬣を何度かなでると、引き綱を固定し馬の耳に命令を囁いた。
 (よし、いけ!)
 馬の尻に鞭を入れて、走る。
 
 一声嘶き、馬は蛇行する様に木々の間を走り始めた。賊が浮き足立って、姿を晒すところを逃さず仕留める。
 一人目、剣が振り下ろされる前に、刀の平で鋭く弾き、体が開いたところで、みぞおちに一撃。男の手から滑り落ちた剣を、左手に収める。
 二人目、猫の様に馬に俊敏に飛びかかってきたが、外套を固定していた棒きれと共に落馬し、馬の後ろ足で蹴られた。
 外套は見せかけで、元から馬上にライデンはいない。よく訓練された軍馬は、空馬のまま敵を攪乱し続ける。
 三人目、短剣を抜く間を与えず、間合いに踏み込み、鼻先に一閃、二閃、返した刃で足下を払う。倒れ込んだ首元に左手の剣を突き立て、衣服ごと地面に縫い止める。
 背後から棍棒を打ち下ろしてきた四人目を、難なくかわす。二打目を振り上げる間もなく手首、右肘、右脇腹を打ち地面にうずくまった所を、肩口から打ち据える。
 五人目、走り込んで繰り出される横からの斬撃を受け払いながら刀を重ね、手元から剣を巻き上げ、はね飛ばし、すかさず脇を打つ。
 六人目ともなれば、先に倒した男共の叫びやうめき声が派手に響いていて、すでに逃げ腰だ。ひるんでいる隙に、手早く当て身で気絶していただく。
 七人目、対峙したときの殺気から、この男が主犯格だと分かる。加減はしない。上段から一合、下段から二合を受け、流し、押し返し、次に突きがきたので、後ろではなく斜め横に体をひねって踏み込む。すかさず剣を逆手に持ちかえ扇を開く様に強く回転させると、剣先だけで男の剣は手首ごと地面に落ちた。
 八人目は「うわぁーーーーーーちょっと待てーーーーー」と叫んだ。
 ・・・・・・シーザーだった。
 
 「シーザー。これでもう、終わりですか?」
 ライデンは息一つ切らさず、その言い分は物足りなさそうだ。
 (やっぱり、恐ろしい娘だ)
 
 賊の手足を綱で縛り上げ、大理石の前に転がす。全部で二十九人。
 二十二人はすでにアクロとシーザーの手で捕らえられていたということだ。
 
 ふと見下ろすと、地面に発破の跡と血痕が残っている。
 「シーザー、これは?」
 「連中の火薬は想定外だった。兄貴の援護がなかったら、さすがに命がなかったよ」
 弟は、からりと笑った。
 そうだ。
 周囲を見回す。その兄はどこに?
 先刻は森の中で指笛に答えていたはずだが。
 
 「やあライデン、手伝いに来てくれたのかい?」
 耳に覚えのある優しい声に振り返ると、走り去っていた馬を引いて、華奢な男がふらふらと歩いてくる。
 黒髪は乱れ、肩から腹にかけて服が血まみれだ。
 (まさか・・・・)
 背筋が凍り付いた。
 
 「アクロ!!」
 
 
 昔から、北東の山には大理石の採石場があった。かつて王城が築かれた時代には、山の麓に村がいくつもあり、多くの人々が生活していた。だが城の完成と共に人々は別の村へと移住してゆき、中には廃屋を残すだけとなった村もある。
 王の森はその時代の名残を残す、古き良き森だ。
 
 ここは王に許された者しか立ち入れないので、気兼ねなく話をすることが出来る。
 オリーブの木の下にキルトを敷き、賢者は王とロイナスを前に座している。
 
 「君たちは、ボクの話を全く聞いていないのではないかね?」
 賢者は顔を赤らめ、すねた口調で言った。
 だが、ロイナスの高笑いは止まらない。
 「あははは。やっぱり、よく似合うな。その格好」
 
 裾の長い白のコタルディに、花模様の金刺繍が散りばめられた赤紫のチュニク。襟と袖にはひらひらとレースまでついている。お姫様の普段着という印象の服装だ。
 血の付いた服のままミンミと対面するわけにもいかず、着替えにとライデンから差し出された革袋の中身がこれだった。
 
 「だいたいねぇ、なぜ女装の着替えしか載せていないのかね? これは、隙あれば彼女にこれを着せようという、王様の邪な企みじゃないのかい」
 「そうなのか?」
 笑いを収め、横に座る王の顔をまじまじと見つめる。
 「知らぬ。荷を用意したのは、ザートだ」
 目をそらす。怪しい。
 案外当たっているのかもしれない。
 「それより、私が聞きたいのは、捕らえた賊の頭数が足りないと言う点だ」
 「おや、そうかね?」
 「辻褄が合わないようなら、裁きに際して再度シーザーを呼び出すことになる。出来ればそれは避けたいが、どうだ?」
 王と賢者は互いに何かを牽制しあっているようだ。
 状況が把握できないロイナスは、先刻のミンミと同じ気分を味わう。
 アクロは少し考えた様だったが、軽くため息をつくと王に告白した。
 「商人の息子と友人の二人、シーザーと一緒にすでに返してあるのだが・・・・。初犯なので、ボクに預けて欲しい」
 ミンミに目を付けたのは商人の三男。友人と二人で盗賊に情報を持ちかけ、一緒に後をつけてきた。最初に見かけた馬車がそれだ。誘拐でもするつもりだったのだろう。ところが、予定に反して馬車を東の森の向こう側に進め、それを途中の村で見咎められたことで、問題が起きる。
 賊にも縄張り争いがあって、東の森の近辺は手出ししない約束だった。見せしめのために、元締めが対立する賊に情報を流し、たまたま居合わせた海賊が加担したことで火薬まで盗用されることになった。
 ライデンが森で対峙したのは海賊の一味。奇襲することは得意でも、馬で奇襲されるなど経験したこともなかっただろう。
 ライデンが物足りないと感じたのも嘘ではない。
 「海賊が陸に上がることがあるのか?」
 ロイナスの率直な疑問だ。
 「物見遊山だね。白狼は他の大陸でも有名なのだよ」
 シーザーとアクロは、すでに争い始めていた二組の賊の間に入り、同胞の二人をかばいながら両者と闘ったのだ。充分健闘したといえる。
 説明を一通り聞いて、ロイナスがまとめる。
 「賊同士の抗争に、ライデンとシーザーが居合わせて捕らえた。海賊はおまけだな。それでいいだろ、ロインズ?」
 「甘い。雑把すぎだ」
 二言でたしなめたあと、アクロを見据える。
 「だが、他の賊の情報も隠さず出すなら、これは貸しにしておく」
 「ずいぶん融通が利くようになったのだね。意外だよ」
 条件を付けられたとはいえ、アクロは王の柔軟な取り捌きに喜んでいる様だった。
 「おまえの方こそ、昔よりだいぶ弱くなったのではないか?」
 「ああ、これかい?」
 賢者の左頬の痣に二人の視線が集まる。たしか、鉄扉を破るほど、武術に長けていたと記憶していたのだが。
 「近頃、鍛錬が足りなかったからね。仕方ないよ」
 自嘲気味に笑う。
 
 駆け寄ってくるライデンに、瀕死のふりをしてひしと抱きつき、涙まで流してもらった・・・・・所までは良かったが、単なる返り血だけでどこにも怪我をしていないとばれ、怒った彼女から平手でなく拳を食らってしまった。
 この痣は、ライデンに本気で心配してもらった証拠でもある。多少痛むが、嬉しくもあった。
 
 「お話は済まれましたか? お食事の準備が出来ておりますが」
 ライデンが声を掛けてきた。
 いろいろな事がありすぎて、陽はもうすでに天上を過ぎてしまっている。
 「すまない。すぐ行く」
 ロインズとロイナスが立ち上がる。
 アクロは座ったまま、立ち去ろうとするライデンの背中にすがるようにこう言った。
 「ねぇ、ボクの服と君の服、上着だけでも変えてくれないかね?」
 「いいえ、そのままで。とてもよくお似合いですよ。陛下もそう思われるでしょう?」
 彼女は「お似合い」と「陛下も」をことさらに強調して答えた。
 今の状況は、賢者の偽言に対する仕返しと同時に、王の子供じみた悪戯も敬遠できる上手い方法なので、彼女が首を縦に振るはずはない。
 もったいないと思う。元々姫君なのだから、この衣装も身に纏えば似合うだろうに。
 やれやれと深くため息をつき、仕方なくアクロは立ち上がった。
 
 
 昼食には持参したパンと煮込んだシチュー、残りの重に入っていた塩味の点心を蒸し直した。茸が取れなかったのは残念だったが、かわりにこの森で採った木の実と果実を食することが出来た。
 夕刻まで、もうさほど時間はないが、いよいよ目的の測量器を取り出す。
 ところが、重大なことに気がついた。
 測量に使うはずだった綱がない。賊を縛るのに使ってしまったのだ。
 正確に測った基準の一線の両端から、目標までの角度を測り、三角形の特性を生かして算術によって距離を求める。実測していた綱がなければ、算定はできない。
 「申し訳ありません。綱を持ち出してしまって・・・・台無しですね」
 ライデンは意気消沈している。
 「よい。気にするな」
 ロインズが慰めの言葉を掛ける。
 
 「概算で良いなら、方法はあるよ。歩幅で測ればよいのだ」
 アクロは手頃な石を、自らの足下に置いた。
 「ここから、このように歩数を数えて・・・・・・」
 実際に歩いてみせる。
 「二十と決めた所で目印を置く。それぞれの目印の位置で、角度を測るのだ」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・」
 「?」
 さほど難しい説明ではなかったはずだが、周りの反応が全くない。
 彼らを振り返って見る。
 ロイナスはただ呆然と賢者を見つめ、ライデンは手で口を押さえ、ロインズは背を向けていた。
 「アクロ、変なの。歩き方まで本当のお姫様みたい!」
 ミンミの声で、堰を切った様に一同が笑う。
 レースが汚れない様にと無意識に裾を両手で摘んで・・・・楚々と歩く賢者の姿が、あまりに似合いすぎて嘲笑を誘ったのだ。
 アクロは自らの風体に思い当たり、
 「ああ、もう・・・・・・好きなだけ、笑ってくれたまえ」
 今日の目的、王様の気晴らしには、充分貢献できた。別段このぐらい構わない。
 皆の笑いが止むまで、賢者は忍耐強く待っていた。
 
 
 
 
 
 
 「今度はあの山の高さを測ってみたいものだ」
 北東の山を眺めながら、王様は上機嫌だ。
 
 少し離れた場所で帰り支度をしながら、「勘弁してくれ」と、ロイナスは心の中で叫ぶ。
 目印の付いた棒を持たされ、あっちだ、こっちだとせわしく走り回らされ、心底疲れた。次は山にまで登れと・・・・・・いや、この男の言うことだ。冗談抜きでやらされるかも知れない。
 うんざりした気分で顔をあげると、アクロの視線と出会った。表情を読まれていたらしい。笑われるかと思ったが、いたく真面目な言葉をもらった。
 「安心したまえ。この測量器の遠見鏡は水平方向しか動かないから、高さは測れない」
 「そうか、助かった」小声でつぶやく。そこでようやくアクロは笑った。
 「高度や天体の観測器は別にある。興味があるかい?」
 天体には心惹かれる。砂漠でも星見は生きていくために必須の知識だったが、系統立てて学んだことはない。
 「ただし、暦も含めて相応に学んでおく必要がある」
 ・・・・・・農学書の写しがが終わってからでいい。
 そういえば、山の高さはどうやって測るのか? 棒きれを持って振り回しても、見つけられる訳がない。この際、思い切って尋ねてみる。
 「山の高さを測る場合、大鏡で陽の光を反射して目印とする。そうだね・・・・ボクが北回りで国を出るときに、日時を決めて、山から合図を送ってあげるよ」
 (国を出る)
 さらりと言った賢者のその言葉に、心残りを感じている自分がいて驚く。
 そうだ。アクロはいずれ彩国に帰らなければならない身なのだ。あまりに存在感が大きすぎて、すっかり失念していた。
 「ライデンが戻り次第、先に帰る」
 いつの間にか、ロインズがすぐ後ろに立っていて、そう言い残すと踵を返して行ってしまった。その声音と去っていく背中をみて、思い至った。
 (いつものロインズに戻ったか)
 遊びの時間は終わったと、自分で区切りをつけた様にも思えるが、今の話の流れからするとひょっとして・・・・・・?
 
 
 「お待たせしました」
 ライデンがミンミと共に戻ってきた。
 男達が測量器に夢中になっている間、二人は森を散策し、すっかり打ち解けていた。
 ライデンがミンミにこそこそと耳打ちしている。何事かと見守っていると、ミンミがロインズの前に立って頭を下げた。
 「王様、本日はどうこうさせていただき、ありがとうございました」
 ミンミは芝居の口上の様に、大きな声で感謝の言葉を述べ、後ろ手にもっていた物をおずおずとロインズに差し出した。
 青い小花のタイムをあしらった花の冠だ。
 「ライデンさんといっしょに作りました」
 ライデンと花冠。意外な組み合わせだと思ってはいけない。彼女は正真正銘の淑女教育を受けた身だ。タイムが「勇気」と「行動力」をあらわし、このような形で騎士に贈られることも心得ている。
 「うむ。もらおう」
 ミンミは頬を赤らめ微笑んだ。王様にすんなり受け取ってもらい、よほど嬉しかったらしく、飛び跳ねる様にしてアクロの元に駆け戻ってきた。
 聡い少女はアクロに小声で囁く。
 「アクロもライデンさんに作って欲しかった?」
 「うーんそうだねぇ」
 賢者は問いに対してあいまいに答え、笑顔を返した。
 軽く左頬の痣に手を触れ、内心はこう答える。
 (ボクはこれをもらったから、もうじゅうぶんだよ)
 
 
 
 賢者の衣装はあまりに目立つため、馬車に乗せてあった雨具を羽織って、なんとか体裁を整えた。
 アクロの馬にロイナスが、馬車にはアクロが乗り、つい先刻まではしゃいでいたミンミはアクロの膝枕ですでに夢の中だ。
 「では、お先に」
 ライデンはロイナス達に声を掛け、先に騎乗した王の後を追った。
 二人を見送りながら、ロイナスは呆れたように、
 「なんだ、あいつは一言も挨拶なしか」
 「どうせ、城で顔を合わせるのだろう?」
 「いや、おれにじゃない」
 アクロをじっと見る。
 「ボクに?」
 「ロインズのあなたに対する態度、一朝一夕では変わらないようだな」
 彩国の賢者を留め、異変調査の助力をしてもらっているというのに、礼もねぎらいの言葉もない。偶然とはいえ、半日ともに過ごし、少しは旧情を温められたかと思ったのだが、そんなそぶりは微塵もない。測量器を一緒に扱っているときですら、妙によそよそしかった。
 互いの立場もあるだろうが、此処では何も気にしなくて良かったはずだ。
 「余計な気を回すなと不興を買いそうだが・・・・あなたはミンミがなんと言っていたか知っているか?」
 (王様もアクロもおともだちなのに、会って話しもできないなんてかわいそう)
 
 アクロは黙ったまま、膝で眠るミンミの背中を優しく撫でている。
 過去を問えばロインズもライデンも詳細は語らない。アクロも同じだろう。
  (慕い慕われていた相手)
 なにか深い葛藤があるのならば、再び歩み寄るために必要なものは・・・・・・。
 「アクロ、ひとつ頼みがある。ぜひ聞いて欲しい」
 
 
 
 
 翌朝、ロイナスの部屋にて。
 
 「何と言った?」
 ロインズの目の色が変わる。予想はしていたが、たった一言の威圧だけで胃が縮む。
 「ちょっと高い買い物をしたので、おまえにも肩代わりを頼もうと思って」
 昨晩、アクロの屋敷から運び込んだ蔵書が部屋の本棚に所狭しと並んでいる。
 「あの男に借りを作るなと何度も・・・・」
 ここで論破されては話が先に進まない。両手をあげ必死にロインズを制する。
 「まあ、聞けよ。負債の回収には、書簡を送れば賢者が自らこちらへ出向いてくれるそうだ」
 「なに?」
  明敏なロインズのことだ、今の言葉の意図するところをすぐに理解するだろう。
 その証拠に黙り込んだ。
 「そうだ、何年払いがいい? 五年か? 十年か? こちらで決めて良いと」
 じっと顔をのぞき込む。長年の付き合いだ、無表情の中にも感情が読み取れる。
 「二年ごとに十回とか。ああ、途中でミンミの十三才の祝いを一緒にするというのはどうだ?」
 そろそろ、虚言だと分かったようだ。
 アクロはいずれ彩国に帰る。だがそれで終わりにして欲しくないと、ロイナスは思う。
 ロインズも同じではないのか? だったらそのように言葉で伝えなければ、相手にはわからない。
 (王として公言できないことでも、おれには言える。「ガウルグゥア国に再訪して欲しい」と)
 「・・・・・・勝手にしろ」
 ふいと顔を背け、王は部屋から出て行こうとする。
 
 ロイナスは「今から話すことは真実だ」と、前置きをして話し始めた。
 
 「おれは季節の便りを賢者と交わす約束をした。借りた蔵書で学んで、分からないことがあれば尋ねようと思う。アクロは何度でもこの国に来てくれると」
 扉の前に立つロインズは、黙って聞いている。
 「何回かに一度、おまえがおれの振りをして書簡を書いてみたらどうだ。それなら、国も家臣も関係ないだろう?」
 「一体何を書くのだ? 悪口雑言か?」
 ロイナスは吹き出す。
 「あちらは罵詈雑言で返すと言っていた」
 やはり、言葉を交わさなくても同じようなことを考え、お互いを理解していると思える。
 「なあ、アクロがこの国にきた理由、おまえには分かっているのじゃないのか?」
 ロインズの中に、過去の暗く澱んだ考えが未だに残っているのは知っている。
 だが、異変に立ち向かおうとしている今、少しでも枷鎖は軽いほうが良い。
 「よけいな干渉だな」
 「お節介だと言っていた」
 「おまえはそんな気質だから、偽物だとばれるのだ」
 「王の影武者に向かないと言われた」
 両方の耳から同じことを言われた様な錯覚を覚える。
 だいたい、この二人の思考が分かってきた。
 
 ロインズとアクロ、二人が歩み寄るために必要な物は二つ。
 時間と直接衝突を避けるための緩衝役(ロイナス)。
 この場合、かなりの覚悟と耐久力が必要だと彼は十分承知している。
 そしてこれは、自分にしか出来ないだろうということも。
 
 「まだお互いに近場に居るのだから、この際じっくり話し合いでも、喧嘩でも何でもやったらどうだ?」
 
 「喧嘩はまずかろう」
 『喧嘩などやらないよ』
 そう言いながら、ロインズはゆっくりと振り返った。
 「だが、そうだな、アクロとひとつ話し合ってみたい事ができた」
 『ロインズ殿と、相談してみようか』
 おそらく、ロイナス以外、誰も見たことのない王様の満面の笑み。
 (アクロの潤んだ瞳を思い返す)
 
 「おまえ、次は何処に飛ばされたい?」
 『君には、今度何処で踊ってもらおうかねぇ?』
 
 (このふたり、本当に仲が悪いのか? おれはまんまと陥穽にはまったのでは)
  
 緩衝役は恐る恐る、尋ねてみる。
 「ええと、この場合おれに選ぶ権利はあるのか?」
  
 王と賢者は黙ったまま、答えを返してはくれなかった。



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